
野間神社、つぶて浦に続く、知多の神社巡り第三弾は、入見神社(いりみじんじゃ/地図)です。
『延喜式』神名帳(927年)には知多郡の神社が三社載っており、入見神社はそのうちの一社ということになる(他の二社は阿久比神社と羽豆神社)。
延喜式内社ということですごく期待していくとちょっと肩すかしを食った気分になるかもしれない。
私は2013年に一度訪れていて、そのときは神社に対して特別な興味はなかったのだけど、特になんてことのない神社だなと思った。
今回もそれに近い感覚で、これじゃない感を強く抱いた。
空気が軽くて古社臭さがない。
それは場所が違っているせいなのか、この神社が延喜式内の入見神社ではないのか。
なんとなくここじゃないんじゃないかという気がした。
帰ってきて調べたらなるほどそういうことかと納得した。
もともとは今の場所(中之郷森山)にあったものを北の井際山山頂へ遷し、その後、潮干天神に遷座。更に現在地に戻すという経緯があったらしい。
それだけ移ってしまうと古来からの空気感をとどめることは難しい。
私が感じたこれじゃない感はそういう理由だったのだろう。


江戸時代までは八王子と呼ばれて、祭神は八王子(五男三女神)となっている。
しかし、最初からそうだったわけではなく、『延喜式』神名帳には一座となっているので一柱の神を祀っていたということだ。
かつてこの場所は入り海だったので入見神社と呼ばれたという通説が語られるのだけど、個人的には信じない。
地名としての内海(うつみ)も内海(うちうみ)から来ているわけではないと思う。
このあたりは非常に古い歴史のある土地で、狭いエリアに10以上の寺社が密集している。
そういう土地は地形由来で地名は付かない。
そもそも、内海は地形的にも内海ではない。
では、内海や入見がどういう由来なのかと訊かれると私には分からないとしか言えない。
”うつみ”や”いりみ”に共通するのは”み”だ。
”み”は”三”かもしれない。”三”といえば”三河”であり、”三女神”でもある。
三に入ったので”いりみ”なのか、三が入ったと解すべきか。
尾張と三河が混在しているような、上書きされたような感じもある。

屋根瓦には十六菊家紋。
しかし、神紋は五七桐紋のようだ。
これも三河=天皇家という構図が見える。

裏手の鳥居には江戸時代中期の元文三年(1738年)の銘が入っている。
表の鳥居は神明鳥居で、裏の古い鳥居が明神鳥居というのも意味深だ。

灯籠の台に彫られている紋。
剣唐花紋の一種だろうか。
これも何かヒントになりそうだ。

この神社が面白いのは、境内が海辺のような砂地になっていることだ。
入り海だった時代があるというのは本当かもしれない。

かつては郷社だったということで、たくさんの神社が集められている。
土蔵のようなところも社代わりになっているようで、松尾社、大山咋神、市杵島姫神と書かれた札が架かっている。

猫のいる神社はいい神社という個人的な基準がある。
首輪をしていたから飼い猫だろうけど、おなかに子供がいるようだった。
三毛猫は遺伝子の関係でほぼメスで、オスはごく珍しい。
多賀神社編につづく
【アクセス】
名鉄知多新線「内海駅」より徒歩約12分
【駐車場】
スペースあり
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