第三の定点観測

 今週の定点観測は第三の定点観測です。

 少しずつ日没が早くなっていく中で、太陽の沈む位置を見失いがち。











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コメント

コメント一覧 (4件)

  • 大田さん
    いつも楽しく拝見させていただいてます
    はじめてコメントします。

    大田さんのものの見方や捉え方が本当に素晴らしくて、いつも色々と共感しながら読ませていただいています。

    なかでも「定点観測」は特に好きな記事です。
    同じ場所、同じ視点から眺めていても、季節や時間、光や空気によって、空や街がこんなにも違った表情を見せるんだなあと。

    その移ろいを静かに見つめている感じが、どこか吉田兼好の『徒然草』にも通じるようで、とても味わい深く感じています

    これからも楽しみに拝見させていただきます。

    • >長内さん

       こんにちは。
       コメントいただきありがとうございます。

       定点観測を楽しんでいるのは私と長内さんくらいかもしれません(笑)。
       サンデー料理と定点観測はネタ切れ防止のための苦肉の策的手法だったのですが、けっこう長く続いてます。
       サンデー料理は最初期から。

       なにはともあれ、楽しんでいただけたら何よりです。

  • 「いわれが分からない金森明神」というページを拝見させていただきました。いわれ(諸説)が一応伝わっているので、ご存知かもしれませんが、いちおうお伝えさせていただきます。まず、この辺りは、鋳物師の多い鍋屋上野村の一角で、「金(鋳物)を守る」集落がありました。それらを率いていた鋳物師集団が、水野氏と加藤氏になります。鍋屋上野加藤氏は、金森明神を氏神にしている家もありました。景清様 というのは、加藤家の祖です。彼はもともと伊勢付近の生まれで、頼朝の祖父である熱田大宮司季範家に婿に入り、加藤の姓を授かりました。景清の伝説は、一方では「頼朝に仕えた加藤景清、景員、景廉家(称藤原利仁流)」の伝説に、一方では「伊勢平氏に仕えた悪七兵衛景清」の伝説になっていきました。津市の四天王寺には「悪七兵衛加藤景清」と両方の伝説が混ざっています。ちなみに景廉の流れは、熱田加藤氏となり、家康の面倒を見たりしています。

    • >やすさん

      はじめまして。
      いろいろ知らないことを教えていただきありがとうございます。

      金森明神の景清は加藤家の祖でしたか。
      平景清伝伝承とごっちゃになった可能性がありますね。

      鍋屋上野村は江戸時代前期の寛永年間に水野太郎左衛門がこの地に移り住んだことから鍋屋の地名になったと一般には語られますが、実際はもっと前だったでしょうか。
      熱田の加藤家が鋳物師とつながっているというのは知らなかったし意外でした。
      加藤、西加藤に分かれたのは遅くとも戦国時代で、東加藤に熱田の支配を任せたのが織田信秀となると、鍋屋上野と加藤家のつながりはどうなんだろうと思います。
      もともと伊勢の出身で頼朝に仕えたとなると、そこから熱田や熱田社の千秋家とのつながりが生まれてきますね。

      いい情報をいただけたので、もう少し調べてみます。
      何か分かれば名古屋神社ガイドの金森明神のページに追記します。

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