
三重県神社巡りの旅の第2回です。
瀧原宮をあとにした我々一行が次に目指したのは水屋神社(地図)だった。
地図で見るとわりと近いのだけど、峠を越えないといけない。
直線距離では12キロ程度ながら、この道のりは険しかった。
事前にAIに相談したところ、710号線で峠越えしてもたぶん大丈夫ですよということだった。
西から大回りして422号線から行くことも考えたのだけど、そっちはそっちで道も細いし悪路もあるということで、一番近道となる710号線から行くことにした。
しかし、この道は決してオススメはできない。道は細く、対向車が来ると詰む場所があり、ところどころ道に大きな穴が空いている。
運転していた仲間が上手かったからいいものの、下手っぴさんや大きな車はやめておいた方がいいと思う。
422号線も悪路となると、安全策としては大きく東から回るルートしかない。
勢和多気インターから真っ直ぐ行けば悪路や山道はないので安全に行ける。
とにもかくにも無事に着いてよかった。
山頂付近で鹿がいたらしいけど私は見逃した。

かつて赤桶の里などと呼ばれていたということで、向かいの道沿いに赤い桶のオブジェが置かれている。
これが神社の目印にもなっている。
横が駐車場だ。

神社の縁起が書かれた説明板がある。
伊勢と大和の国分け神話なんだけど、不思議というか、妙な違和感がある話だ。
春日の神の安在所というのだけど、なんでここで春日が出てくるのかも謎だ。
一応、主祭神は天児屋命(アメノコヤネ)ということになっている。
なのに神紋は三つ巴だったりする。
倭姫がこの地を訪れたという話もあり、伊勢の神宮にもゆかりがありながら、同時に大和の春日神とも関係が深い。
648年(大化4年)には大和の三笠山から素盞鳴命(スサノオ)、龍神姫命を勧請したともいう。
龍神姫命って何だ?
入り口に織田信長と北畠具教の和睦の地みたいな説明板がたっている。
ん? と思う。
これはきっと大河内城(おかわちじょう)の戦いのことをいっているのだろうけど、この場所で和睦が行われたなんて記録や伝承があるんだろうか。
戦いが起きたのは1569年で、信長は大河内城を落とすことができず、2ヶ月後に和睦したというのは歴史的事実として伝わっている。
戦いには若き日の木下藤吉郎も参加していた。
和睦を申し入れたのは信長側で、自分の三男の信雄を養子に出す代わりに北畠具教は居城の多気城を出て隠居するというのが条件だった。
その話し合いが水屋神社やその近辺で行われたのかどうか。
大河内城があったのは、水屋神社から見て約17キロ北東だ。

水屋神社といえば一番の見所は樹齢千年を超える大楠ということになる。
たぶん、それ見たさに訪れる人が多いのだと思う。
それ以外にもたくさんの巨木があって、この土地の古さを物語っている。
いろいろ水に関係するところで、木の育成条件が整っているのかもしれない。
ちょっと驚いたというかのけぞったのは、波動水なるものが水道の蛇口から出てくることだ。
波動水発祥とかも書かれている。
湧き水が蛇口から出てくるのか、ただの水道水なのか、判断はつかない。
ありがたい水としていただいてくのがよさそうだけど、飲んでいいものなのかどうかも不明だ。


拝殿横の楠木も巨木で、それがそうかと思ったら違っていて、本殿裏手にあるのがそうだった。
これはなかなかの迫力だ。
楠木はわりと成長が早いから樹齢千年はどうかと思うけど、巨木には違いない。

写真では木の大きさや迫力を伝えきれない。


龍の楠木とかも。
このときは少し雨が降っていて、境内はしっとりとした雰囲気だった。
雨と神社はわりと相性がよくて、雨のときにしか感じられないこともある。
水屋神社そのものにそれほどの古社感はないのだけど、巨木の見本市を見にいく価値はあると思う。
つづく。

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