
先日、お仲間4人組で豊田市の神社巡りをしてきた。
そのときの様子を何回かに分けてお送りします。
豊田市巡りといいながら、待ち合わせはみよし市の黒笹駅だった。とりあえずここが集まりやすいということで。
みよし市はかつての西加茂郡三好町で、行政的には三河に属していた。
西隣の日進市や東郷町まで尾張なのに、どうして三好は三河に組み込まれたのだろうと、ちょっと不思議に思う。
三好の中央を境川が流れていて、古くはそこが尾張と三河の境界線だったというから、今のみよし市の西半分は尾張側だったかもしれない。だとすると、黒笹は北西端に近いところなので尾張に属していたということになる。
黒笹(くろざさ)の地名由来に面白いものがある。それはこんな話だ。
聖徳太子こと厩戸皇子が各地を巡っているときこの地を訪れた。
ここを収めていた豪族の長谷川大膳ノ助(悪者扱いされている)が住処としていた岩窟はかつて七堂伽藍を備えた巌窟寺の跡地で、そのことを告げるとそれでは証明してみせよというので、太子が自ら彫って祀っていた観世音菩薩に祈ったところ、仏像の眉間から金色の光線が出て、周囲の草木をたちまち金色に変える一方、青々していた竹の笹が黒色になったため、それまで天龍王と称していたこの地を黒笹とあらためた、というものだ。
なかなか変な話で実話とは思えないのだけど、厩戸皇子が唐突に出てきたり、もともと天龍王と呼ばれていて七堂伽藍を持つ古寺があったという点などを考え合わせると、この地はかなり重要な場所だったのではないかと思えてくる。
それと、ここで登場する長谷川大膳ノ助のその後が語られないことにも違和感を覚える。よくある話なら、改心してどうこうというオチがつくはずなのにそれがない。
太子が祈ると仏像から金色の光が出てあたりを金や黒に染めたというのは何の暗示なのか。
笹だけが黒になったというのがこの伝承のキモで、笹は何を意味しているのだろう。
なんだかモヤモヤ感の残る地名説話ではある。
黒笹駅のすぐ南に八幡社(地図)があったので、寄っていこうということになった。
地図ではこぢんまりと描かれているのに実際はけっこう広い立派な神社だ。
周囲から一段小高い丘の上にあり、古墳を思わせる。
この八幡社創建にも厩戸皇子が関わっているという話があり、だとすると創建は飛鳥時代まで遡ることになる。
それほど古い八幡はないはずなので、創建がそこまで古いとなると元は八幡ではなかっただろう。
けっこうな古社感はあるように思う。
本殿裏手に回ると更に小高いところに山神、津島、黒笹社(英霊社)があり、何故か立ち入り禁止と書かれている。
境内社のエリアが立ち入り禁止なんて聞いたことがない。
この場所はやはり古墳だろうという思いを強くした。境内社がある場所に石棺が埋蔵されているのではないか。だから立ち入り禁止としたと考えると腑に落ちる。
黒笹の八幡社は歴史的にも面白いところであり、神社としてもなかなかいいと思った。
この後、一行は豊田市方面へ向かった。
つづく

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