
猿投方面神社巡りの第3回は、池田1号墳(地図)編です。
神社巡りでなんで急に古墳? と思ったかもしれないけど、それは我々もだった。
運転してくれていた仲間の一人が突然、Uターンをしてどこかを目指し始め、ここへと辿り着いた。
なんか、呼ばれたらしい。
そういう特殊能力のある人なので、我々も疑わずについていった。
この古墳の存在については何も知らない状態だったので、池田古墳といわれてもまったくピンとこなかった。
池田古墳群を形成する古墳の一つで、西三河最大級の横穴式石室を持つ円墳だそうだ。
築造は古墳時代後期の7世紀初頭前後。
石室が12メートルで墳丘が19メートルというから、ほとんどが石室で、それを薄く土で覆っているだけの円墳ということになる。
そのせいもあって、盛り土の一部が崩れて横穴式石室の入り口が剥き出しになっている。
猿投山から続く丘陵地上に立地していることから、猿投山と関係する被葬者像が推測できる。
巨大石室を持つという特徴からヤマトや尾張とも関係がありそうだ。
当時の西三河一の有力者が葬られているかもしれない。
そのあたりについてAI(Gemini)と対話したので、近々名古屋神社ガイドのAIとの歴史対話に載せる予定でいます。

入り口に小さな案内が出ているだけなので、最初からここを目指さないと見落としてしまうのではないかと思う。

最初、場所がよく分からず森の方に行ったら違っていて、少し開けた丘のところから左手に進んだ先にある。

ここが入り口。
って、もう少し案内が欲しいところだ。

一番上の写真のように立派な石碑と説明板がある。
上の写真は墳丘部分。
わりと形は残している。
向かって左手に石室の入り口があって、西南に向かって空いている。
方向としては北東の猿投山の方を向いているということになるだろうか。

花崗岩の巨大岩。
おそらく猿投山から運んできたものだろうけど、けっこう距離はあるし、このサイズのものを運んで積み上げるというのは相当な技術力だ。

石室の中。
大人が普通に歩ける高さで、7世紀初頭にここまでの巨大石室を持つ古墳を作った理由が気になるところだ。

私はなんとなく登るのはやめておいた。
一応、お墓だろうから。
それにしても、被葬者はどうなってしまったんだろう。人骨が見つかったなどという話はないようなのだけど。
つづく。

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