TOKIOの『太陽と砂漠のバラ』をずっと覚えている

 今こそ、TOKIOを聴こう。
 というわけではないのだけど、ずっと自分の中に残っているTOKIOの曲がある。
 TOKIOを積極的に聴いていたわけではないし、記憶にあるのは『宙船』や『AMBITIOUS JAPAN!』くらいなのだけど、テレビドラマの主題歌で、これいいなと思ったのがあって、それが最後まで残った。

『太陽と砂漠のバラ』

 何のドラマだったのかは覚えてなくて、調べたら『華麗なるスパイ』だったようだけど、内容はまったく記憶にない。
 作詞作曲の清水昭男についても、他の作品はまったく知らない。

 YouTubeを探したけどなくて、ニコニコ動画に個人がアップしたものがなんとか残っていた。
 昔はYouTubeにMVがあった気がするのだけど、ジャニーズのあれこれで削除されてしまっただろうか。


https://www.nicovideo.jp/watch/nm8347720?rf=nvpc&rp=watch&ra=share&rd=x
 ニコニコ動画の埋め込みが分からなかったのでURLで。

 長瀬智也は今更ながら得がたい俳優だったし、ボーカリストでもあった。
 歌が上手いというだけでなく声がいいし表現力がある。

 長瀬智也のドラマでは、『うぬぼれ刑事』と『俺の家の話』がとても好きだった。
 どちらも脚本は宮藤官九郎だ。
 クドカンも長瀬智也が好きだったに違いない。

 TOKIOとドラマつながりでいうと、最近たまたま観た松岡昌宏主演の『死役所』がすごく面白かった。

 紹介したドラマはすべてAmazon Primeで観られるので、よかったらぜひ。
 もうすぐAmazonプライムデーのセールが始まるから(7月11日から14日まで/会員の先行セールは8日から)、これを機に入ってみるもいいですよ。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメント一覧 (8件)

  • こんにちは、いつも楽しく拝見してます。
    ついに東郷町に突入ですね。

    傍示本の由来については愛知郡鳴海庄の北限で山田郡との境界を示す牓示があったという説があります。1386年の『愚安抄奧書』に「愛知郡鳴海荘内傍爾本」とあるそうなので、傍示本は地名としては結構古くからあるようです。

    kk

    • >kkさん

       こんにちは。
       コメントありがとうございます。

       傍示本村の由来は榜示/牓示にあるというのは通説なんですよねぇ。
       ただ、個人的にはちょっと納得いってません。
       榜示なんてあちこちにあったのに、ここでだけ村名になるってのがどうなのかなと。
       あと、傍示本村の”本村”というのがやはり引っ掛かってます。

       北部と南部の間に郡境があったってのは確かっぽいですね。
       北の和合や諸輪は山田郡で、傍示本村以南は愛知郡だったでしょうね。

       東郷町は少し延喜式神名帳の神社の気配がします。
       伊福神社とか、和爾良神社あたり。

      • オオタ 様
        ご返信ありがとうございます。
        東郷町にはそれなりに古い時代から人が住んでいたと私も思います。東海道の「両村駅」も東郷町内にあった可能性があると私は考えています。

        kk

        • >kkさん

           コメントありがとうございます。

           日進市も東郷町も実は古いというのは私も感じます。
           縄文時代まで遡っても驚かない。

           山田郡両村駅はかつて豊明の二村といわれてましたが、あそこはやはり愛智郡だろうから違いますよね。
           となると、日進か、天白か、東郷か。
           諸輪は両和とも表記されたから、けっこう可能性ありそうですね。
           尾張と三河の境という意味でも、東郷町っぽいというのはあります。

          • こんにちは。
            伊福神社については、尾張国風土記逸文に重要な記述があるのでお知らせします。
            「尾張愛智郡福興寺 俗名三宅寺 南去郡家九里十四歩。在日下部郷伊福村…」
            これによると、愛知郡日部郷に伊福村があったようなので、おそらく伊福神社も日部郷内にあった可能性がたかそうです。日部郷は名古屋市中区あたりというのが定説なので、名古屋市中区北部のどこかではないかというのが私の考えです。

            kk

          • >kkさん

             こんにちは。
             コメントありがとうございます。

            『尾張国風土記』逸文の記事は知らなかったので助かります。
             日下郡に伊福村があったのは間違いないようですね。

             日下(日部)がどこにあったかですね。
             確かに、並び順からすると北西って感じなんですよね。
             中村が中村で、千竈が中川区とすると、中区大須あたりか。

             ”くさか”というと、尾張草香連を連想します。
             目子媛のお父さんですね。
             三宅寺が屯倉から来ているなら、そのあたりともつながりそうです。

             これって、けっこう大きなテーマですね。
             伊福と伊福部の関係とか、地域性とか。

  • オオタ 様
    ご返信ありがとうございます。愛知郡の日部郷は、木簡や記載順からして中区と見てほぼ間違いないと考えてます。問題は郡家の場所なのですが、個人的には太毛郷(中区南部か)にあったと見ています。というのも太毛郷(大宅郷)は、飛鳥時代まで「大家五十戸」と書かれていたことが木簡から判明しているので、大家=郡家だと見ています。

    ただこの解釈でいくと、郡家の南9里に日下部郷伊福村とあるという記述と矛盾(方角が逆)になるので色々と考えなければならないですね。

    • >kkさん

       コメントありがとうございます。
       あらためて和合抄の愛智郡の郡を並べると、中村、千電、日部、大毛、物部、厚田、作良、成海、驛家、神戸。
       この並びだと、日部、大毛は中区と考えるのが妥当でしょうね。
       遺跡の分布や古社の位置からしても。
       物部は昭和区御器所として、瑞穂区にも一郷欲しいところではあるけれど。
       あと、東部の東郷町や豊明市には郡がなかったのかという疑問も出ててきてしまいます。
       驛家、神戸がそれに相当するのかどうか。

       それはともかく、郡家の南9里に日下部郷伊福村というのをどう解釈するかですね。
       位置的にいえば、熱田の北の古渡とかでしょうか。

       伊福が氏から来ているのか、地名が先なのかも気になるところです。

       この問題は引き続き調査研究が必要そうですね。

オオタマサユキ へ返信する コメントをキャンセル

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

目次