
足助方面神社巡りの旅の第4回は足助八幡宮(地図)編です。
当初の予定にはなかったのだけど、少し時間があってどこへ行こうかとなって、足助まで足を伸ばすことになった。
こういう場合、どこへ行くことになるかは分からない。たぶん、行った先が正解なのだろうと思う。
ずっと跡になって、意外なつながりが見えたり、どこか別の場所への伏線になっていたなんてこともある。
結局、ここがこの日のゴール地点となった。

足助は紅葉名所の香嵐渓の入り口で、春にはカタクリの花が咲くところとしてもよく知られている。
私も何度となく訪ねている。
古い町並みは魅力的で、ひな祭りの季節には各家庭のひな祭りを展示したりもするし、明かりの祭りなども行われる。
しかし、足助八幡は行ったような行ってないようなで、ほぼ記憶になかった。
行ったとしてもずっと前で、ここ10年とかではない。
この日が初めてだったかもしれない。
何度となく前は通ったのに。

社伝によると、創建は天武天皇時代の673年(白鳳2年)という。
本当かなと思うのだけど、何の根拠もなくこの年号が伝わるとも思えないから、何らかの根拠はあるのだろう。
2月21日という日付まで伝わっているというからなおさらだ。
しかしながら、白鳳2年(3年という話もある)は662年なので、何らかの混乱も見られる。
673年なら白鳳13年で、672年の壬申の乱の翌年ということだ。
662年なら白村江の戦いの前年で、天智天皇(中大兄皇子)もまだ即位していない。
いずれにしても、最初から品陀和気命(応神天皇)を祀る八幡社として創建されたとは思えない。
品陀和気命以外にも、帯中日子命(仲哀天皇)と 息長帯比売命(神功皇后)、更には瀬織津比売命、菊理媛命、日本武尊もあわせて祀るという。
途中で合祀されたのだろうけど、このあたりの事情もよく分からない。
実際に現地に立ってみると、なんだか印象の薄い神社だ。
濃密な気配のようなものがない。
古社臭さも感じられない。
もともとは近くの飯盛山(いいもりやま)の山頂にあったとされるので、里に遷した際に気が抜けただろうか。
明治になるまで境内には神宮寺もあったそうだ。

扁額の八幡の八が鳩ではなく鯉のようになっている。

狛犬と獅子が変わった姿をしている。
頭に何を載せているのか。

足助(あすけ)もわりと難読地名だと思う。
足を助けると書くことから足の健康や旅の安全を祈願する神社とされる。





この神社の一番の見所は本殿だ。
室町時代の1466年(文正元年)の築造と伝わるもので、国の重要文化財に指定されている。
檜皮葺で三間社流造の姿は室町期の特徴がよく出ている。
築造時の建材や建築様式がそのまま残っているのであれば国宝指定でもおかしくない。
隣接する足助神社は、南北朝時代の忠臣、足助次郎重範を祀るために明治35年(1902年)に創建された。
足助氏7代目惣領だった足助次郎重範は1331年(元弘3年)の元弘の乱で後醍醐天皇に従い、笠置山(京都)の籠城軍の総大将を努めた。
しかし、捕まって斬首となり、後に明治天皇より贈位された。
今回の神社巡りの旅はここまで。
またどこかの神社でお目にかかりましょう。

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