気持ちが大事とか、最後は気持ちの強い方が勝つとか、そんなことがあるのかなと思ったりするけど、”気”というのは目には見えなくても実在するし、曖昧のようでありながら確かなものでもある。
気合いだとか、本気とか、気迫とか、気配とか、日本語には気の付く言葉がたくさんある。
外国でもそうなのかもしれないけど、気というものの実存を感じているからこそ言葉が生まれ、それが人々の共通認識となる。
気があるという言い方は好きということの言い換えだけど、その気持ちは確かに自分の中にあると感じる。
殺気というものだって直面すれば感じることができるだろうし、それは気のせいなんかじゃない。
気のせいという言葉も、気があるから”気”の”せい”なのであって、勘違いとか何もないということではない。
気功だって嘘ではない。
気の力や気の流れというものを正確に読み取ることができるなら、それを乱すことも整えることも可能になる。
気というものを侮ってはいけない。
確かにあるものとして扱うべきだ。
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