
アマ・ツアーその4は藤嶋神社(地図)です。
現住所はあま市だけど、合併前の旧住所は海部郡(あまぐん)だった。
七宝町(しっぽうちょう)の町名は変わっていない。
七宝焼きが盛んだったから地名になったとされるも、七宝焼きをやっていたのはここだけではないわけで、その地名由来にはなんとなく納得できないものを感じる。七つの宝とは何を意味しているのか。あるいは、”しっぽう”という音から来ているのか。
藤嶋神社は”ふじしま”と読んでいるのだけど、古くは”フチシマ”といっていたようだ。
藤嶋は当て字で、もともと”フチシマ”だったのかもしれない。
大祓祝詞に出てくる天斑馬(あまのふちこま)の”フチ”は斑(ぶち)のある馬のことをいっているとされるように、このあたりを”フチ島”と呼んだとも考えられる。
実際、古代このあたりは海で、ところどころに島が浮かぶ風景が広がっていたという。

アマ・ツアーで回った神社はすべて蕃塀を持っていた。
尾張の神社の特徴ではあるものの、名古屋市内にはそれほど多くない。
元から多い土地柄だったのか、たまたま残っただけなのか。

『延喜式』神名帳(927年)に載るいわゆる式内社とされている。
現在の祭神は市杵島姫命(イチキシマヒメ)。
ただ、他にも説があって、はっきりしない。
創建は天武天皇時代の白鳳4年というのだけど、どの程度根拠があるものなのか。
白鳳4年は675年で、天武天皇即位3年に当たる。
天武天皇の名は大海人皇子で、海人(アマ)が深く関わっている。
最初に書いたようにこのあたりは海部郡で、これも”アマ”と読む。
アマの部(べ)ということかもしれない。
この藤嶋神社についても、天武天皇(大海人皇子)が直接もしくは間接的に関わっている可能性がある。

神紋は五七桐紋。
それだけで尾張氏系と決めつけるのは短絡的だけど、尾張氏系の神社に多い神紋なのは確かだ。
より古い神社は五三桐紋を使用している。

変わった書体で書かれた額。
下の字はよく分からない。
名古屋吉田精巳か、違うか。




盛り上がり具合と崩れ具合が古墳っぽい。
神社があるあたりは海抜0メートル地帯なので古墳ではないだろうけど、それにしても何か盛り上がっている。
自然地形なのか、盛り土をしたのか。
何か特別な感じは受けなかったものの、延喜式内社といわれればなるほど立派な神社だと納得はいく。
ただ、市杵島姫命を祀るというのはなんとなくしっくりこない。
市杵島姫命を一木の島の姫ということでいうと、この地方にゆかりのある女性を祀ったのが始まりなのかもしれない。
【アクセス】
名鉄津島線「七宝駅」から徒歩約50分
【駐車場】
あり

コメント
コメント一覧 (1件)
オオタさん、こんにちは。
たびたび恐縮です。
蕃塀は、私にとっては不思議な存在です。
正殿を直視しない(できない)ようにしたり、不浄なものの侵入を防ぐために造られたりするといいますが、正しい目的は分からないようですね。
また、オオタさんが書いていらっしゃるように、分布に地域性があるような印象を持っています。
というのも、20歳代半ばまで済んでいた実家(愛知県碧南市)あたりでは見た記憶がありません。
現在は桑名に住んでいますが、桑名、四日市あたりの神社でもほとんど見たことはありません。
近鉄ハイキングやJRさわやかウォーキングで訪ねた愛知県尾張西部では、割と多くの神社に蕃塀がありました。