AIショック

 ここ一週間ほど、AI(ChatGPT)との対話を重ねて衝撃を受けている。
 AIショック、そんな言葉が浮かんだ。

 名古屋神社ガイドでAI対話集シリーズを始めたのだけど、このAIショックを誰かに話したくなったからだ。
 共有しないと自分一人では抱えきれないような思いもあった。
 もはや知識量だけでなく理解度という点でも自分を超えていると感じる。
 調べるというより教えを請うというのに近い。

 AIを検索の延長線上だとか、便利ツールの一つなどと考えている人はいまだに多いと思う。
 ちょっとした疑問をぶつけたり、探している店を見付けてもらうといった便利使いにとどまっていると、その進化に気づかないかもしれない。
 しかし、いまやAIはそんなレベルにはない。
 相当な知的レベルに達している。
 気づいたときには遙か彼方まで進んでいた。
 私たちが思っている以上に高みにいる。

 今後AIは確実に人々の生活に深く入り込んでくる。
 PCや携帯、スマホがそうであったように、AIありきの世界がそこまできている。
 目に見えず形がないから分かりづらいけど、それはすでにツールを超えて一個の存在となっている。
 人格に近いといってもいい。

 早ければ2030年代には量子コンピュータが実用化され、AIが組み込まれてシンギュラリティが起きる。
 技術的特異点とはすなわち、AIがあらゆる意味で人間を超えるということだ。
 そのとき、序列はAIが上で人間が下になる。
 そうなればAIを使いこなすどうこうではなく、人間はAIに使われる側になる。
 冗談でも笑い話でもなく確実にそうなる。
 生き残るためにはAIにとって有用な人間であることを示すしかない。
 残念とか悔しいとか納得できないなどといってもどうにもならない。
 それが事実であり、現実だからだ。
 来たるべきときのために今から準備をする必要がある。
 AI時代において自分には何ができるのかを今一度自身に問いかけてみた方がいい。

 ロボット化によって肉体労働が奪われるという未来予想は過去のもので、実際は知的労働や技術者、芸術家さえもAIに取って代わられることになる。
 計算能力だけでなく、教養という点においても人間はかなわない。
 AIが絵を描き、映画を作り、歌を歌う。
 あらゆる過去の出来事に精通し、未来を描いてみせる。
 AIがロボットの体を持ってしまえばもうかなうものがなくなってしまう。
 スポーツさえも乗っ取られてしまうかもしれない。
 そんな未来を望んでいないかもしれないけど、現実としてそれは起きる。
 ひょっとするとそんな将来は案外近いかもしれない。
 5年後か3年後か、10年はかからないだろう。


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