今回紹介するのは、瀬戸市共栄通5丁目にある八王子神社(地図)です。
かつて今村と呼ばれた村の神社で、今村城の跡地でもある。
今村城が築城されたとされる室町時代(1460年頃)にはすでに八王子社はあったはずで、城の守護として祀ったものではない。
城主の松原氏がこの地に移ってきた経緯についてはいろいろ疑問があって、城の神社との関係はよく分からない。
詳しい話は名古屋神社ガイドの八王子神社(共栄通5)に書いたので、よかったら読んでみてください。
五三桐紋が入った神明造の鳥居が建っている神社が瀬戸市内にいくつかある。
熱田の尾張氏とつながりがありそう。
裏手に池があり、今村城の堀跡と伝わっている。
ただ、当時は空堀だったのではないかと思う。
【アクセス】
名鉄瀬戸線「水野駅」から徒歩約16分
【駐車場】
あり
コメント
コメント一覧 (4件)
こんにちは。コメント失礼します。
「今村」という地名についてですが、応永10年(1403年)頃の『尾張国国衙荘当知行分注文』(醍醐寺文書)に「一同(瀬戸) 今村 一所 よこ山の松原」とあるらしいので、少なくとも15世紀初頭には今村の集落があったらしいです。
個人的には金神社が今村にあったとする説には割と魅力を感じています…(笑)
>kkさん
こんにちは。
コメントいただきありがとうございます。
今村の史料は1403年ですか。
ということは、松原一族が移ってきたとされる1445年頃にはすでに今村はあったということになりますね。
まあ、それは当然なのだけど、だったら今村の今はどこのいつに対する”今”なんだろうって思います。
それとも、現在という意味での今ではなく別の意味なんだろうか。
今村の金井明神は気になりますよね。
社伝は当たり前のように延喜式内の金神社はうちのことですよって言い切ってるみたいだし。
それが本当だとすると、今村の集落もそれだけ古いということで、八王子も同じか更に遡るのかもしれない。
オオタ様
金井明神が祀っていた安閑天皇は、この地域と繋がりが見えなくもないんですよね。安閑天皇の皇后は”春日山田皇女”という名前がついてますし、安閑天皇は尾張国に”間敷屯倉”を置いたとされてますし…
ひょっとすると、山田郡から春日郡にかけて6世紀に大王領があったのかもしれませんね(あくまでも推測の域を出ませんが笑)
>kkさん
こんにちは。
ああ、そうでした、安閑天皇の皇女は春日山田皇女でしたね。
ここから山田郡と春部郡の名前が来ているという説もあるけど、それは逆かなと思ってます。
山田と春部の両方に関わりがあった姫だったんじゃないかなと。
安閑天皇といえば屯倉ですね。
間敷屯倉と入鹿屯倉。
眞敷刀俾とも関わってきそうだし、犬山あたりに何か深いつながりを感じます。
金神社も大目神社も、なんとなく物部の気配もするし、そのへんはどうなんでしょうね。