
静岡遠征その2は掛川市にある事任八幡宮(ことのままはちまんぐう/地図)です。
掛川市は縦に長い市で、南は遠州灘に面している一方、北側は山深い。
事任八幡宮があるのは中央やや北寄りの東端に当たる。
西を南北に通っている静岡県道415号線(日坂沢田線)はかつての国道1号線で、東に新道の国道1号線バイパスができたため、県道415号線となった。
この道筋が旧東海道なので、事任八幡宮は東海道沿いにあった神社ということになる。
神社の東を逆川(さかがわ)が蛇行しながら流れている。

第一印象は、ここが本当に遠江国の一宮か? というものだった。
遠江国一宮は、ここ事任八幡宮ともう一社、小國神社があって、この後、小國神社へも行くのだけど、比較すると全然性格が違う神社に思えた。
小國神社は一宮にふさわしい格式高い官社で、事任八幡宮は村の鎮守といったら失礼に当たるだろうか。
一宮ということを抜きにすればいい神社だし、個人的には好印象だったのだけど、一宮という冠がつくと少々不思議というか違和感があった。
ただ、何の根拠もなく一宮とされることはないだろうから、間違いとかただの自称とかではないはずだ。
『延喜式』神名帳(927年)に載る遠江国佐野郡己等乃麻知神社が事任八幡宮のことという。
主祭神は己等乃麻知媛命(コトノマチヒメ)で、社名はここから来ているとされるのだけど、もしかしたら逆かもしれない。社名が先にあって、祭神を後付けした可能性もある。
己等乃麻知媛は興台産霊神(コゴトムスビ)の妻で天児屋命(アメノコヤネ)の母とされるのだけど、それが本当であれば中臣氏の関係社ということだろうか。
しかし、この辺りに中臣や藤原が関わっていたかというとどうなんだろうという気がする。
創建について社伝では成務天皇の時代としている。だとすると日本武尊の少し後あたりということになるだろうか。
成務天皇の父は景行天皇で、母は美濃の八坂入媛(ヤサカイリヒメ)なので、尾張との関わりも深い。
もともと事任本宮が祀られている本宮山にあったものを、807年(大同2年)に坂上田村麻呂が東征したとき桓武天皇の勅命で現在地に遷したという。
八幡となったのは平安時代後期で、1062年(康平5年)に源頼義が石清水八幡宮から勧請したことから日坂八幡宮(にっさかはちまんぐう)などと称するようになった。
事任八幡を名乗るようになったのは戦後のことで、これを”ことのまま”と読むのは難しい。
ただ、古くから”ことのまま明神”などと呼ばれていたのは確かで、清少納言の『枕草子』にも「ことのままの明神いとたのもし」と出てくる(文脈からするとちょっと皮肉めいているのだけど)。

神紋は亀甲に卜象と左三つ巴で、亀甲に卜象紋は非常に珍しい。珍しいのだけど、三河国の一宮の砥鹿神社(とがじんじゃ)が同じ紋を使っているのは気になるところだ。
どちらも本宮山にある一宮という共通点もあって、まったくの無関係と考えるのは難しい。
中臣が関わっているとすれば、祭祀や亀卜との関連も考えられる。

社殿前には楠木の巨木がある。
これはかなりの迫力で、樹齢千年は超えていそうだ。
他にも杉の巨木があり、土地としての歴史の深さを感じさせる。

三つ巴紋は八幡になって以降のことだろう。
八幡と合体はしていても融合はしていないということか。

いったん境内を出て、西の415号線を渡った先に事任本宮への入り口がある。
まあまあの山道を10分ほど登る。
レンタル杖や途中に休憩所もある。

登った先には小さな社が一つ。
あれ? これだけ? という感じではある。
もともとこちらにあったときはどんな姿だったのか、上手く想像できない。

授与所で布をもらって、本社の周囲にあるお白石を磨く。
”ことのまま”の社名にあやかって、事(言)がそのままその通りになるというのがこの神社の”売り”だ。
石を三つ、一つ目は神様のため、二つ目は皆のため、三つ目は自分のために磨くのだとか。
個人的には願い事はしない方針なので、無心で磨いておいた。

奥宮がある場所はいい気が満ちている。
厳めしいとか神々しいとかではなく、清浄な感じ。

里宮の右手を回り込んだところに川へ降りる道がある。
最後にこちらにも立ち寄った。

逆川(さかがわ)の流れは美しい。
尾張と三河を分ける川は境川(さかいがわ)で、”さか”と”さかい”の音が似ているのも共通点といっていいかもしれない。
遠江はいろいろな要素が混じりつつ独立した土地で、中部でも関東でもない独自の地位を保っている。
特に中央部の掛川あたりは西にも東にも属していない感じがする。
つづく
【アクセス】
JR掛川駅よりバスで20分。
八幡宮前下車すぐ
【駐車場】
あり

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