
アマ・ツアーその6は愛西市の由乃伎神社(地図)を紹介します。
そして今回がアマ・ツアー・シリーズの最終回になります。
憶感神社をあとにした我々一行が次に向かったのは諸鍬神社だったのだけど、狭く入り組んだ場所にあって車を停めておく場所もなかったのであらきらめて行き先を由乃伎神社に切り替えた。
名鉄尾西線の「日比野駅」の近く、住所は愛西市柚木町東田面になる。
旧住所でいうと佐屋町なので、佐屋地区といった方が合っている気がする。
日比野というと名古屋市熱田区にもあるし、一宮の浅井町には大日比野・小日比野があり、何らかのつながりがありそうな気がする。
日比野駅の東には日置町(へきちょう)があり、日置も名古屋の中区にある。
社名の由乃伎(ゆのき)は地名から来ているというのが通説なのだけど、それが柚木(ゆぎ)からなのかどうかは分からない。
柚木は”ゆぎ”と濁るのに対して由乃伎は”ゆのき”と濁らない。だからといって別はいわないけど、社名が先で地名が後という可能性もある。
『延喜式』神名帳(927年)に載る尾張国海部郡由乃伎神社はこの神社とされる。
尾張国内の神名帳には夜岐天神(夜檐天神とも)ともあり、この場合は”よのき”と読ませるのだろう。
ヨノキというのであれば、山田郡にも夜檐天神(ヨノキ)が載っており、同じ社名ということになる。
地名といい、社名といい、いろいろ別のところとリンクする部分が多いのが気になるところだ。
祭神は日子湯支命(ヒコユキ)となっている。
これは”ゆのき”の社名からくる後付けなのか、実際に最初から日子湯支命を祀る社として建てられたのか。
『先代旧事本紀』の「天孫本紀」や「天皇本紀」に出てくる人物で、宇摩志麻治命(ウマシマジ)の子といっている。
綏靖天皇時代に足尼(すくね)となり、申食国政大夫(おすくにのまつりごともうすまえつきみ)として大神を奉斎したという。
申食国政大夫は後の大連や大臣のようなもので、今の役職にたとえると総理大臣のようなものだろうか。
政治と祭祀が一体だった時代なので、マツリゴトの代表といった役職だ。
湯支(ゆき)は天皇即位の大嘗祭のときに使う稲を育てる田んぼの悠紀・由基(ゆき・すき)の悠紀に通じることから、それを反映した名前とも考えられる。
兄に味饒田命(ウマシニギタ)がおり、これは北区味鋺(あじま)の地名の由来になったとされる。
『新撰姓氏録』では日子湯支命、比古由支命と表記され、大和国神別の志貴連や河内国神別の日下部氏の祖とする。
いずれにしても、もし本当に日子湯支命を祀る神社だとすれば、物部系の神社ということになるのだけど、それほど単純な話ではないような気もする。

この日回った他の神社と同じく、ここも蕃塀を持っている。
蕃塀とは何かについては、なかなか難しい問題で、分からないとしかいえない。
地域性に偏りがありすぎる。

日子湯支命について天照大御神より五代目として、天照大御神-天忍樋耳命-天火明命-宇摩志麻治命-日子湯支命と、かなり無茶なことを書いている。
こんな系譜は何をどう組み合わせても出来上がらないと思うのだけど、宮司が書いたのだろうか。
江戸時代は神明社と呼ばれていたのは歴史的な事実で、この神社が本当に延喜式内の由乃伎神社なのか、怪しく思えてくる。



本殿の裏手に空き地があるのだけど、かつてはここで神社の祭祀用の米を作っていたのかもしれない。

社殿向かって右手にある空間。
ここが何か大事な場所に思えた。
南知多にある海辺の古社の空気感と近いものを感じて、やっぱりこの神社はいい神社だろうと思い直した。
江戸時代に建てられた村の鎮守とかそういう神社ではないだろうと。

この日のアマ・ツアーはここまでとなった。
まだまだ回りきれなかった神社がたくさんあるので、第2弾もやりましょうということになっている。
今回本編では漏れてしまった写真があるので、番外編として近いうちに載せる予定です。

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