
アマ・ツアーその5は憶感神社(地図)です。
憶感のことを”おかん”と読むのだと思っていたら、現地の説明板に”おっかん”とフリガナがあった。
おかんというとオカンを連想するし、悪寒の文字も浮かぶ。
”おっかん”というのはどこから来ているのだろう。
古くは”おかむ”だったようで、”おくかむ”ともいっていたようだ。
津田正生などは”おかみ”と読むべきだといっている。
”おかみ”であるなら、龗神(オカミ)から来ているとも考えられるけど、個人的な感覚ではそうではない気がする。
よくは分からないのだけど、ここは雨乞いのための龍神を祀るような性格の神社ではないように思う。

鳥居は神明造。
戦後に建て直したものかもしれないので、形式で神社の系統を判断することはできない。
紅白に塗られた蕃塀は珍しい。他では見たことがない気がする。
拝殿は近代のコンクリート造の白塗りで、本社は赤い銅板葺きなので、そこも紅白を意識している。
全体的な印象がチグハグで、それがこの神社を余計分かりづらくさせている。

神社の前はかつての佐屋街道で、旧街道の面影を残している。
もともとは200メートルほど北の北神守村にあったものを、江戸時代前期の1647年(正保4年)に神守宿が作られたときに集落とともにこちらに移されたという。
右に少し写っているのが山車蔵で、その隣には地蔵堂がある。

祭礼のときに山車が町内を練り歩くようだ。

同じ境内の横に憶感山吉祥寺がある。
かつての別当で、江戸時代はこの寺が神社を管理していたという。
憶感が寺の山号になっていることからしても、憶感が龗神のことだとは思えない。


本社の社は小ぶりで、質素だ。
全体的に少し荒れている。
それよりも境内の木の枝をばっさり切り落としていて、丸裸になっていた。
少し前に撮られたネットの写真では竹林がいい感じだったのに、竹もまったくなくなってしまった。
おかげで境内の空気感が抜けてスカスカになっている。
どういう事情かは分からないけど、もったいないと思った。

正体が分からない境内社の裏にいわくありげな石が置かれていた。
なんでもない石とは思えないのだけど、説明などはない。
憶感神社は『延喜式』神名帳(927年)に載る式内社であり、『日本文徳天皇実録』(879年)に「仁寿3年癸酉6月列於官社」とあり、『日本三代実録』(901年)には「貞観7年乙酉11月 授尾帳國憶感神從五位上」とあることからも、古くて格式のある神社だったのは間違いない。尾張の国内神名帳にも從二位や正一位とある。
ただ、現在の憶感神社がその神社かといえば疑問を抱かざるを得ない。これはそうじゃないのではないかという感覚があった。
愛西市南河田町にある神明社も論社となっているので、機会があればそちらにも行ってみたい。
とはいえ、ここは神守(かもり)という地名で、神を守るのか神に守られた土地ということからして、古い神社があってもおかしくはない。
長い歴史の中で神社も形や性格を変えていったわけで、今受ける感覚で判断してはいけないのだろう。

コメント