
2023年2月に西尾市吉良町の幡頭神社(地図)を訪ねている。
レタッチソフトのカタログの中にずっとあって、いつか出そうと思いつつそのままになっていた。
気づいたらもう3年近くになる。
どういうきっかけで吉良を訪れたのか思い出せない。
名鉄西尾線の「吉良吉田駅」から歩くと1時間以上かかるのだけど、バスに乗った記憶はないので往復を歩いている。
この後の写真が日没後の夜に撮ったものなので、誰かと一緒に行ったわけではなく一人で行っている。
何かのお祭りに行ったときだろうか。
何はともあれ、ようやく出す気になったのは前進といえる。
もう2026年が明けて6日も経ったし、古いものは出し切って気持ちを新たにしたいという思いがあった。

神社は三河湾に少し突きだした蛭子岬から少し登った高台にある。
登り坂の途中で振り返ると三河湾を見渡せる。
蛭子岬の突端近くには小さな蛭子社も祀られている。

社伝によると初めて社殿が建てられたのが702年(大宝2年)という。飛鳥時代の末だ。
おそらくこれは創建の話で、祀り始めの創祀ということになると更に遡るだろう。
主祭神は尾張氏当主で尾張国造だったともされる建稲種命(タケイナダネ)だ。
社伝がいうところによると、日本武尊(ヤマトタケル)の東征に従い、帰る途中の駿河湾で海に落ちて死亡し、亡骸が宮崎の岸辺に打ち上げられたのでそれを埋葬したのが始まりという。
建稲種の伝承は三河の幡豆や知多半島の羽豆などに広く伝わっており、まったくの作り話とは思えない。伝承の元となる何らかの事実があったに違いない。
名古屋神社ガイドは三河まで手を広げられないのだけど、訪れた神社だけでもいつか番外編として書ければいいとは思っている。



『延喜式』神名帳(927年)に載る参河国播豆郡羽豆神社はこの神社のこととされる。
ただ、建稲種の話と神祇官所属の官社とされたことが上手く結びつかない気もする。
建稲種の話とは別の縁起や由緒があるのではないかと思う。
『三河国内神名帳』には「正一位羽利大明神坐幡豆郡」とあることからしても、格式の高い神社と考えられていたのは間違いなさそうだ。


安土桃山時代の1580年(天正8年)に再建された本殿は国の重要文化財に指定されている。
檜皮葺の屋根のラインが美しい。

本殿両脇の神明社と熊野社も2022年(令和4年)に追加で重文指定された。

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