
岐阜県郡上白鳥の旅は、長滝白山神社(ながたきはくさんじんじゃ/地図)から始まった。
阿弥陀ヶ瀧と流しそうめんがメインではなかったのだ。
狙ったわけではなかったのだけど、この旅は白山を巡る旅となった。意識しないまま白山信仰の拠点を巡っていたことを知ったのは帰ってきた後のことだ。
郡上白鳥(ぐじょうしろとり)というからには日本武尊と関係がありそうなのだけど、今回は日本武尊はまったく出てこなかった。いつか日本武尊を巡る岐阜旅もしてみたい。
入り口には「表本宮 白山神社」と「白山長瀧寺」の二つの社号標が並んで建っている。
かつてここは白山中宮長瀧寺という寺だった。
明治の神仏分離令を受けて長滝白山神社と長瀧寺に分離独立したものの、現在でも同じ境内に神仏が同居する格好になっている。かつてはこれが当たり前の姿だった。
すぐ横を長良川鉄道が走っており、白山長滝駅も近くにあるので、鉄道で行く場合もアクセスがいい。
白山長滝駅の次が北濃駅で、そこが長良川鉄道の終点だ。
その先の阿弥陀ヶ瀧へ行くにはバスしかない。

参道入って一目見て、はい、いい神社確定ですと思う。思うというか明確に分かる。
岐阜県はこの手の古式ゆかしくて立派な神社が唐突にある。伊奈波神社とか、南宮大社とか、各務原の村国神社などもそうだ。
名古屋にはこういうタイプの神社は現存していないので、ちょっとうらやましい。愛知県でいっても、熱田神宮や砥鹿神社、真清田神社、大縣神社などは、タイプが違う。
岐阜はどちらかというと西日本寄りな感じがする。


雰囲気も佇まいも空気感も申し分ない。
なかなか素晴らしいなと感じ入る。

社伝によると、717年(養老元年)に白山を開いた泰澄が創建したことに始まるという。
時の天皇は元正天皇で、養老元年といえば養老の滝を行幸した元正天皇が元亀三年から養老に改元した年で、その元正天皇が養老6年に病気になった際、この寺で病気平癒祈願をしたところ効験があったというので、元正天皇が彫った十一面観音、聖観音、阿弥陀如来を安置して白山本地中宮長瀧寺に改称したとされる。
本当っぽくないような話だけど、これは何らかの史実が元になっている気がする。
元正天皇といえば『古事記』であり、風土記の天皇だ。歴史を再構築しつつ地方支配を強めた時期でもあり、美濃国とも何か直接的な関わりがあったのではないかと思う。

拝殿の前に鳥居型の飾りがあるのは初めて見た。かなり珍しいのではないかと思う。
ただ、ここは何度か火災にあっているので、建物自体は大正時代以降の再建らしい。

社殿も立派。
だけど、華美ではない。
もともとは寺なので、当然だけど『延喜式』神名帳や『国内神名帳』などには載っていない。
江戸時代はどんな建築だったのだろう。

神仏習合状態とはいえ、寺を示すものは多くない。
これは現存する大講堂だ。これも立派。
最盛期は白山三社に若宮社、大講堂、鐘楼、護摩堂、神楽殿、三重塔、法華堂、薬師堂など30以上の堂宇が建ち並び、6谷6院360坊があったというから大寺院だ。ちょっと想像がつかない。
中世から近世にかけて、白山信仰の拠点は3ヶ所あり、白山三馬場と呼ばれていた。
美濃国の白山中宮長瀧寺、加賀国の白山寺白山本宮(白山比咩神社)、越前国の白山中宮平泉寺(平泉寺白山神社)がそれで、江戸時代にはどこが本家かでモメたりもした。
今に続く白山社の多くは加賀国の白山寺白山本宮(白山比咩神社)から勧請したとするところが大部分なのだけど、実は美濃国の白山中宮長瀧寺からの勧請も多かったとされる。それだけの規模と勢力を有していたということだ。
ただ、鎌倉時代の1271年(文永8年)の火事で半数の建物を焼失したこともあり、室町時代には比叡山延暦寺西塔院南尾一切経蔵院の末寺となっていた。

ところどこに堂跡などがあり、往時の面影をわずかに伝えている。



白鳥一帯はやたら杉が多い印象だった。
植樹なんだろうけど、大杉も多い。
この地に杉を植える理由が何かあったのだろう。

郡上白鳥旅は続きます。
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