
ある本の中で、「苦しむか苦しまないかは自分で決めていい」という一節が出てきて、そんなの当たり前じゃんと反応した後、少し遅れて、いや、待て、これは立ち止まって考えるべきだと思い直した。
この教えは、苦しまなくていいというのではなく、苦しむか苦しまないかは自分で決めていいという点にある種の独自性がある。少なくとも私はこれまでこういう考え方に出会ったことはなかった。
確かにそうなのだ、これは苦しむべきことなのか、苦しまなくていいことなのかは、そのときどきで自分が決めていいことなのだ。
苦しまないことが必ずしも正解ではないし、苦しむことも無駄にはならない。
自分で自分を必要以上に苦しめるのはよくないことは分かっていながら、人はときに、苦しむことを免罪符のように考えてしまうことがある。
苦しむことが責務のように自分を追い込んでいく。
苦しまなくてもいいだよという教えは優しいように思えて無責任だし残酷だ。
逆に苦しむことが正しいあり方なのだと押しつけるのも違う。
自分で決めろというのは突き放しているようだけど、自分の意思で決めることが大事というのは間違いない。
無条件に苦しむことは間違っているということだ。
苦しまないことは無責任なことなんかじゃないし、苦しめば許されるわけでもない。
どちらを選ぶにしても、自分を救えるのは自分しかいないことを自覚しなくてはならないのだろう。
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