岐阜県美濃市の洲原神社でテンションマックス

 洲原神社(すはらじんじゃ/地図)は岐阜県美濃市にある。
 今回の郡上白鳥旅の最後に訪れたのがここ、洲原神社だった。
 最初は予定には入っていなかったのだけど、途中の車内で話している中でこの神社の話題が出て、それなら帰りに寄っていこうということになった。
 そしてこれが大収穫となる。



 ここいい神社だねなどと平静を装いながらしゃべっていたのだけど、内心はテンションが激上がりで、うぉーーっと叫びながら駆け回りたいくらい高揚していた。
 ここ、メチャメチャいいーー!! と思いながら。
 神社でここまで気分が上がることはめったになくて、個人的には瀬戸市上品野にある稲荷神社以来だった。
 でも、あそこともまた違う、ちょっと変な上がり方だった。
 何がどういいのかは説明できないのだけど、人も食べ物も神社も好きになるのに理由はなくて、ただ好きというのが分かるだけだ。
 マイベスト神社10に洲原神社は間違いなく入る。それくらいここは好きな神社だ。

 洲原神社のことは以前からぼんやり知っていたものの、具体的に行こうと思ったことはなくて、なんとなく気になる程度だった。それが今回、たまたま帰り道で寄ることになったのは、何かの導きだったかもしれない。ここへ行くために郡上白鳥の旅が設定されたようにさえ思える。
 それくらい洲原神社参拝は私にとって決定的なものとなった。
 それにしても、今になって思うと、どうして現地であれだけテンションが上がったのか自分でもよく分からない。ちょっと不思議な高揚の仕方だった。


 社伝によると、721年(養老5年)に泰澄によって建てられたのが始まりという。
 717年に元正天皇の勅命によるというから、中宮長瀧寺(長滝白山神社)と連動したものと考えられる。
 しかし、中宮長瀧寺と洲原神社は直線距離で38キロも離れていることからすると、どうなのか。
 ただ、元正天皇が美濃に対して何らかの働きかけをしたということはいえそうで、そこにはなにか理由というか秘密のようなものがあったのだろう。


 美濃側の白山信仰の3拠点のうち、一番里側(前宮)がこの洲原神社ということになっている。
 なので、長滝白山神社、白山中居神社、洲原神社と回ったのは必然だったともいえる。
 長滝白山神社と白山中居神社に行って洲原神社に寄らないとは何事かと、洲原神社の神に呼びつけられたのかもしれない。
 それにしても、この神社の本体というか本質は白山信仰ではない気がする。
 もっといえば、元正天皇が命じて泰澄が建てたという話も個人的にはあまり信じていない。
 ここはもっと違う性格の神社だと思う。

 現在の祭神は中央本殿に伊邪那岐命(イザナギ)、東本殿に伊邪那美命(イザナミ)、西本殿に大穴牟遅神(オオナムチ)となっており、江戸時代までは中央本殿に伊弉冉尊(イザナミ)、東本殿に菊理媛命(キクリヒメ)、西本殿に大己貴命(オオナムチ)だったという。
 けれどそれも中世以降のことで、古くは別の祭神だったのではないだろうか。
 泰澄が関わったのが事実だとしても、それよりずっと古い時代に社があったとしてもおかしくはない。
 個人的なことをいえば、私は別にイザナミやイザナギに対してテンションは上がらないから、別の誰かと感応して、その再会の喜びから嬉しくなったのではないかと思ったりする。
 神社に対して感情的になるというのはめったにないことなので、そこには必ず何かの理由があるのだと思う。



 この楼門がまた立派でカッコイイ。
 ここから石段が下の長良川の河原につながっている。
 映画やドラマのロケとしてもよく使われてるそうなので、意識せず映像で見たことがあるかもしれない。




 手前で長良川は大きく蛇行しているため、このあたりの流れはゆるやかになっている。
 川面が鏡のようになって空を映す。
 神社のロケーションもまた素晴らしいものがある。

 この後、近くにあった白鬚神社にも寄っていったのだけど、実質的には洲原神社が今回の旅の締めくくりとなった。
 ざっくりした予定で出向いたにもかかわらず、結果としては何もかもが上手くいった郡上白鳥の旅だった。
 今回紹介した長滝白山神社、阿弥陀ヶ滝荘の流しそうめん、阿弥陀ヶ滝白山中居神社、村間ヶ池、洲原神社のコースは、そのままモデルコースとしてオススメできる。一日コースとしては、時間的にもちょうどいいし内容も申し分ない。
 流しそうめんの営業は9月いっぱいのようなので、秋に行くならもう少し別になるだろうか。

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