
岐阜県郡上市白鳥の旅も折り返し。
長滝白山神社、阿弥陀ヶ滝荘、阿弥陀ヶ滝、白山中居神社と巡った我々一行は、名古屋方面へ向けての帰路についたのだけど、帰りでも何ヶ所か寄っていくことにした。
そのうちの一つが八大龍王の池(地図)だった。
かなりマイナーな場所で、知る人ぞ知るといったところだと思う。
池の名前は村間ヶ池(むらまがいけ)という。
近くには棚田があって、そちらの方が知られているかもしれない。
ただ、村間ヶ池が案内は各所にあったから、わりと有名なのだろうかとも思った。
帰宅後に知ったのだけど、郡上白鳥町の天然記念物に指定されているらしい。

駐車場はないので、近くのスペースに車を停めて5分くらい歩く。
ここもやはり杉林だ。
地元の人たちは花粉は大丈夫なんだろうか。

周囲400メートルほどのさほど大きくない池ながら、何か独特の雰囲気をたたえている。
流入流出がなく、湧き水らしいのだけど水源は定かではないという。
峠の途中の山にあって、人工のため池などではない。
一番深いところでは水深20メートルほどあるというからけっこう深い。
この池には大蛇が棲むという伝説があり、ちょっと興味深い話が伝わっている。
江戸時代このあたりに峠の番屋があり、そこの役人の子供が池に鎌を投げ入れたところ、にわかに暴風雨が吹き荒れたため、一人の男が急いで池に潜って鎌を拾い出したところ、暴風雨はたちどころに収まったという。
それ以来、村人たちは池に鉄製のものを入れないことを誓い守ったのだとか。
この話のどこが面白いかというと、投げ入れたのが”鎌”という点だ。
この話は事実そのものではなく何かを象徴しているように感じられる。
鎌といって思い浮かぶのが猿投神社と大碓だ。
小碓こと日本武尊(ヤマトタケル)の双子の兄ともされる大碓は猿投山で死んで猿投神社で祀られたとされる。
その猿投神社では昔から左鎌を奉納する習わしがあり、今も続いている。ここは金属関係の人たちが参拝に訪れることでも知られる。
それがどうつながるかというと、村間ヶ池があるのが郡上白鳥で、白鳥といえば日本武尊伝承だからだ。
更にいうと、『日本書紀』に日本武尊東征の際にはじめ大碓が指名されたものの、恐れをなして逃げて隠れてしまい、最終的には美濃国に封じられたという話が出てくる。
大碓はつまり美濃にゆかりがあるということで、身毛津君(むげつのきみ)と守君(もりのきみ)の二つの氏族の始祖になったとされる。
強引なこじつけかもしれないけど、村間ヶ池の話には何か裏がありそうな気がする。

池の畔で八大龍王などを祀っている。
「南無八大龍王」の額が掛かった立派な鳥居もある。
社や石碑はそれなりに古そうだけど、鳥居はまだ新しい。

いつ誰がここに八大龍王を祀ったかについては調べがつかなかった。
元を辿れば江戸時代かそれ以前に起源があるかもしれない。

少し離れたところにある石碑は「八代龍王」になっている。
まさか誤字ではないと思うけど。

一年を通じて様々な姿が見られると思う。秋の紅葉シーズンもいいんじゃないだろうか。
フォトジェニックな池でもあるので、阿弥陀ヶ滝などを訪れたときはちょっと立ち寄ってみるのもよさそうです。
コメント