
知多神社巡りシリーズも後半戦。
常滑の多賀神社をあとに北上して阿久比を目指した。
阿久比もなかなかの難読地名で、県外の人は読めないかもしれない。
これで”あぐい”という。古くは”あぐひ”か”あくひ”だっただろう。
やってきたのは阿久比神社(地図)だ。
知多郡には『延喜式』神名帳(927年)に載る神社が三社あり、そのうちの一社がこの阿久比神社とされる(他は入見神社と羽豆神社)。
しかし、率直にいって、それは本当だろうかと、ちょっと疑っている。
遷座したという記録はないようだけど、神気が抜けているとか、式内社としての風格みたいなものが感じられなかった。
何か要因があるのか、私の感覚だけのことなのか。
ここが延喜式内の阿久比神社ではないといえる根拠があるわけではないのだけど。

藤原宮から出土した木簡に「阿具比里五■■部」とあり、これが知られている中では阿久比地名の最古とされる。
甲午年は694年に当たる。
その後、”英比”という表記が見られるようになるのは、元明天皇の好字令によるものだろうか。
英虞湾(あごわん)とかがあるからかろうじて読めるものの、今もこの字ならもっと難読だった。
”五■■部”は五百木部(いおきべ)のようで、そうなると伊福部氏(いふくりべ)とつながる。
伊福部氏というと尾張氏と同系とされるので、阿久比もやはりそっち系なのだろうか。
”いふき”からは伊吹山も連想するし、製鉄の”ふいご”と関係するという説もある。

主祭神は開囓神(アキクヒ)となっている。
アクヒという地名からこの神を当てたのか、この神を祀ることがアクヒ(阿久比)の地名につながったのか。
社伝によると、顕宗天皇2年に阿左比古(アサヒコ)というこの地の豪族が祀ったのが始まりという。
時代を経て菅原道真の孫の雅規(英比丸)がこの地に土着したという伝承もある。
その英比丸命は祭神として名を連ねている。
別の伝承として、成務天皇時代に阿左比古の前に白髪白髭の仙人のような老人が現れて阿久比の神を祀るように告げたというものもある。
開囓神は『日本書紀』で、伊弉諾尊(イザナギ)が黄泉国から戻って禊ぎをした際、投げた褌から生まれた神とされており、『古事記』では冠から飽咋之宇斯能神(アキグヒノウシ)が成ったといっている。
合祀されている神は、猿田彦大神(サルタヒコ)、天津彦命(アマツヒコ)、瓊瓊杵尊(ニニギ)、八幡大神、田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命の宗像三女神で、この顔ぶれもなかなか意味深だ。
神紋は五七桐紋のようで、そうなると尾張系のようであり、三河も関わっているようでもある。
阿左比古は経津主命(フツヌシ)の子という話があり、そうなるとどういう関係になるんだろうと考えてしまう。
更に詳しいことは、いずれ名古屋神社ガイドで書きたいと思う。



御霊社の屋根に五七桐紋が入っている。
【アクセス】
名鉄河和線「阿久比駅」より徒歩約5分
【駐車場】
境内
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