最後に満月寺を訪ねる <琵琶湖行き 第4回・完>

 竹生島マキノのメタセコイア並木白鬚神社と巡った我々が最後に訪れたのは大津堅田の満月寺(地図)だった。
 思い返せば予定通りには何一ついっていなかったのだけど、それがかえって面白かった。
 計画の段階では竹生島の後は比叡山延暦寺へ行こうと話していた。しかし、この日は雨降りでもあり、前日に雪が降ったこともあって比叡山は危険かもしれないということで回避した。
 最後に行った満月寺は予定にはまったくないものだった。メンバーの誰かが言い出して、それよさそうだから行こうということになった。私はこの寺の存在すら知らなかった。


 一般には浮御堂がよく知られているようで、歌川広重が「堅田の落雁」と題して描き、近江八景にも選ばれている。
 正式名を海門山満月寺という。
 寺伝によると、平安時代に恵心僧都が琵琶湖から拾い上げた阿弥陀如来を祀るため建てたのが始まりという。
 恵心僧都こと源信が生まれは942年(天慶5年)というから平安時代中期の人だ。
 大和国北葛城郡当麻生まれで、幼名を千菊丸という。
 父は卜部正親、母は清原氏というから、天皇家と卜部の血筋だ。
 これらの話がどこまで本当か分からないのだけど、現在の本尊は聖観音像で、重要文化財に指定されている。
 阿弥陀如来像はどこへいってしまったのか。
 浮御堂が最初に建てられたのがいつだとか、満月寺の名前由来については調べがつかなかった。


 入場料は300円で、久しぶりに拝観料がかかる寺社だったので逆に新鮮だった。
 そういえば寺社って入るのにお金がかかることがあるんだったなと。
 そういう意味でいうと、琵琶湖周辺は観光地といえば観光地に違いない。


 外国人にもよく知られた場所なのだろうか。
 英語で書かれた絵馬というのもうちの近所では見かけない。


 現在の浮御堂は昭和12年に再建されたとのことだ。
 まあまあガタが来ている。
 これは近くで見ると風情がないので遠くから見た方がいい。


 別の堂内に五七桐紋があったり、屋根瓦は見たことがない紋だったりで、ちょっと引っ掛かった。


 浮御堂というくらいだから琵琶湖に突きだして建っている。
 初冬の琵琶湖にはたくさんの渡り鳥が訪れていた。鴨とかユリカモメとか。
 正面中央に見えている三角形の山が気になっていたのだけど、このときは名前が分からず、帰ってきてから三上山ということを知った。
 ピラミッドっぽい。


 松の木も印象に残った。


 満月寺を後にしてあとは帰るだけとなったとき、近くに都久生須麻神社を発見して寄ることにした。
 竹生島にあるのは都久夫須麻神社で、大津堅田のは都久生須麻神社なので、”夫”と”生”の違いがある。
 読み方はどちらも”つくぶすま”という。
 竹生島にあるから”ちくぶしま”がなまって”つくぶすま”になったのだろうと思っていたけど、どちらも”つくぶすま”ということか、もともと”つくぶすま”だったのかもしれない。
 だとすれば思い出すのが、熱田にある青衾神社だ。これで”あおぶすま”と読む。
 古くは白衾神社もあって、”ぶすま”が共通している。
 ”ぶすま”が何を意味するかはよく分からないのだけど、青、白、竹、あるいは”つく”の”ふすま”というのは何か共通項があるのではないか。
 ”ふすま”というと今でも”襖”は一般的によく使われているけど、この襖ももともとはこれが指すところの”ふすま”から来ているかもしれない。


 竹生島には上陸できなかったけど、ここで弁天さんに挨拶できたのでよしとした。
 なんだかんで満足のいく琵琶湖行きとなったことを我々は喜んだのだった。


 都久生須麻神社の横から回ると琵琶湖畔に出られる道があって、浮御堂を入れて夕景を撮ることができる。
 浮御堂はこれくらい離れて見るのがちょうどいい。

 完


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