
琵琶湖行きシリーズ3回目は白鬚神社(地図)編です。
ここは2015年に一度訪れている。確か、友人と琵琶湖を撮りに行ったとき私のリクエストで寄ってもらったのだと思う。
もしくは、奥琵琶湖を歩いたとき一人で行ったんだったか。あまりはっきり覚えていない。
いずれにしても10年前だ。
湖中に浮かぶ鳥居で知られる神社なのだけど、この頃はまだそれほど知られてはいなくて、普通に道路を渡って湖岸から撮影できた。
その後有名になって大勢の人が訪れるようになり、道路横断中の事故が多発したため、横断は禁止ということになった。
その代わりに境内にちょっとした展望台が作られてその上から撮れるには撮れる。
それでもやっぱり近くで撮りたいと思うのが普通だ。
鳥居は琵琶湖の西岸にあって東を向いているので初日の出のスポットとして昔から知られていた。そのときくらいは通行止めにしてもいいのではないかと思うけど、この道の代わりがまったくないので、ここを止めることはできない。

訪れると分かるのだけど、この道は交通量が多い。
しかも、左手が少しカーブしているので危ない。
以前は湖岸で長時間露光撮影とかも楽しめたけど、今はもうできないだろう。
一度くらい、星空と鳥居と琵琶湖の風景を撮ってみたかった。

社伝によると、第11代垂仁天皇25年に倭姫命(ヤマトヒメ)によって建てられたのが始まりという。
倭姫といえば、天照大神(アマテラス)を祀る場所を探して伊勢に祀ることを決めた皇女だ。日本武尊(ヤマトタケル)東征のとき手助けした人物としても知られる。
ここに倭姫の名前が出てくるのは非常に唐突に思えるのだけど、何らかの根拠がないとこういう伝承は生まれないので、何かあるのだろう。
もともとは比良山明神ともいい、比良山をご神体として祀ったのが始まりとも考えられている。
国史に出てくる比良神はこの神社のこととされるので、まったくあり得ないことではない。
ただし、『延喜式』神名帳(927年)に出てこないことをどう考えるべきかという問題がある。
そして何故、白鬚なのかとか、いつから猿田彦神(サルタヒコ)を祭神としたのかといったこともはっきり分かっていない。
面白い伝承として、年老いた猿田彦が琵琶湖を訪れて釣りをしていたらこの場所が気に入ったので終の棲家と決めて、後に祀られたのが白鬚神社というのがある。
後世の作り話なのだろうだけど、こういう昔話にも元ネタのようなものが必ずあるので無視することはできない。

ちょっと驚いたというか意外に思えたのが、神紋が三つ巴紋ということだ。
一般に三つ巴紋というと八幡社を連想する。実際、三つ巴紋を神紋としている八幡社は多い。八幡の総本社とされる宇佐神宮などもそうだ。
どうして白鬚神社が三つ巴紋を神紋としたのかもよく分からない。神社の社紋なのか、社家の紋だったのか。
毛利家や武田の山本勘助、九鬼嘉隆なども三つ巴紋を使っていたから、社家の関係ということは考えられる。

裏手の高台に摂社、末社が集められている。
これらは明治になって村にあったものを集めたものではなくて、わりと古い時代からこうして祀られていたようだ。

神社は琵琶湖西岸のほぼ中央部にあって、南東を向いている。
湖中鳥居は琵琶湖に浮かぶ最大の離島の沖島の方を向いているのだけど、それを最初から意識したのかどうか。
古い時代は陸地にあって、その後琵琶湖の水位が上がって湖中に沈んだという話もある。
沖島の向こうは近江八幡や安土だ。

更に少し階段を登っていったところに社と磐座がある。
ここまで訪れる人は少ないのだけど、白鬚神社のキモはこの場所にある。
磐座があるくらいなので古くから聖地とされたのだろう。ここだけ空気が違っている。

白鬚神社といえば湖中鳥居に気を取られてしまうのだけど、訪れた際はぜひ磐座も見ていくことをオススメしたい。
変わった三角形をした岩で、なんとなく不思議なエネルギーを発している感じがする。
琵琶湖近くには三角形をした三上山もあって、そこはかとなくピラミッド感も漂っている。
湖中深くに謎の縄文遺跡があることを知られているし、磐座の近くには古墳群もある。
琵琶湖は秘められた謎が多く隠された場所に違いない。



ここまでほぼ予定通りいっていない今回の旅だったのだけど、最後もまったく予定にないところで締めくくりとなった。
次回が琵琶湖行きシリーズ最終回です。
つづく。

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