
先週、山田重忠公の会の皆さんと山田重忠ゆかりの寺社巡りをしてきた。
3年ほど前に一度、法事のときにお話しさせていただいたことがあって、今回は初の試みとして寺社巡りをするというものだった。
総勢14名で、私はガイド役として参加させていただいた。
まずは山田重忠公舊里の石碑がある山田幼稚園(地図)から。
幼稚園は隣接する廣福禅寺が経営しており、普段は中に入ることができない。
現在園内になっている場所にかつて大将軍社などと呼ばれた神社があり、山田重忠ゆかりの神社と伝わっている。
大正時代に新愛知新聞社が公募で名古屋十名所を選んだとき、大将軍社が何故か選ばれた。名古屋十名所の石碑も一緒に建っている。
大将軍社は金神社と名前を変えて近くの山田天満宮に移されている。

外から見るとこんな感じ。
見えている扉は閉じられている。

「贈正五位山田重忠朝臣之碑」と彫られた石碑がある。
大正6年(1917年)に正五位を追贈されたときに作ったもののようだ。
そのとき”朝臣”という姓も与えられたのかどうか。

小さな社が3つ並んでいるけど、どういう性格のものかは分からない。
大将軍社時代はもっと立派な神社だった。

続いて大永寺(地図)を訪ねた。
大永寺については名古屋神社ガイドの熊野社(大永寺)のところで少し書いたのだけど、山田重忠創建というのはちょっと無理がありそうだ。
亡くなった父と母と兄を弔うために長父寺、長母寺、長兄寺を建てたと、『尾張志』(1844年)などは書いている。話としては面白いものの、創建年などを考え合わせるとちょっとないかなと思う。
大永寺に関しては、山田重忠の後裔の岡田一族が再建に関わったのは確かなようで、そこから山田重忠創建といった話が出てきたのかもしれない。

寺紋となっている繋ぎ五つ星紋は、岡田家のもののようだ。

住職も山田重忠創建には懐疑的だったものの、ゆかりの品を見せていただいたり、いろいろお話しをしていただき面白かった。
かなり貴重なものもあって、こういう機会でなければ目にすることはなかった。

昼食を挟んで午後からは長母寺と長慶寺を回った。
これは長母寺(地図)。
長母寺はいくつもの文献にも登場する知られた寺で、ここも山田重忠創建ではなさそうなのだけど、名刹には違いない。
こちらの住職もいろいろご存じで、お話しは楽しかった。
長母寺の堂内がすごく質素だったのは驚いた。ここまで飾り気のない寺は逆に珍しい。

瓦屋根が好きで、いい屋根を見ると撮りたくなる。

この日最後に訪れたのが長慶寺(地図)だった。
長慶寺については臨済宗東福寺派という以外にほとんど情報がなく、詳細は不明。
長兄寺の字を変えて長慶寺にしたというのはたぶんない。
事前連絡の段階で、うちは山田重忠とは無関係ですという返答で、当日もお話しはうかがえなかった。
実際、関係はないのだろうと思う。

参加者が多くて、寺は神社ほど詳しくないからどうなるかと思ったけど、私自身とても楽しめたのでよかった。参加された皆さんもそうだったらいいのだけど。

コメント