名古屋神社ガイドの市外編の長久手市編を書くため、5月の終わりに長久手の神社を回ってきた。
だいたい一度は訪れたことがあったのだけど、今回初めてのところもあった。
今日紹介する石作神社だけは例外的にこれまで2度訪れている。
そのときの様子は旧現身日和でも紹介した。
石作神社と色金山
長久手の石作神社を再訪していい神社だと思う
印象に残る神社と残らない神社があるのだけど、この石作神社はけっこう印象が強くて、2018年以来だったけど、印象はほとんど変わらなかった。
再訪してこんなだったかなと思うこともけっこうある。
今回あらためて思ったのは、ここはすごくいい感じに鎮まっているけど神気みたいなものは感じないなということだった。
似たような感覚は熱田神宮にも感じる。
あれ? 神様不在? みたいな。
ちょっと不思議で独特な感じがあって、それで印象に残っているというのもあるかもしれない。
神社はそれぞれの空気感みたいなものがある。
歴史などについては名古屋神社ガイドの石作神社(岩作村)のページに書いたので、よかったら読んでみてください。
【アクセス】
リニモ「はなみずき通駅」から徒歩約40分
名鉄バス「長久手市役所」から徒歩約8分
【駐車場】
あり
コメント
コメント一覧 (4件)
こんにちは。石作神社の記事拝見しました、大変充実した内容で読み応えがありました。ありがとうございます。
岩作という地名についてですが、文和3年付の『親鸞上人絵伝裏書』という史料に「弥作久」とあるので14世紀の段階では「やさく」と呼ばれていたようです。戦国期の『信勝分限帳』にも「やさく」とあります。
石作郷の範囲については、岩崎も含まれる可能性もありそうです。『尾張国地名考』の岩崎の記事で「竹の山より荒砥石産る」とあり、御嶽山のあたりで石が切り出されたりしていたようです。
>kkさん
こんにちは。
コメントいただきありがとうございます。
岩作と石作神社との関係は今一つ分からないままでした。
他の石作神社と岩作の石作神社は分けて考える必要があるのかなと思ってます。
『親鸞上人絵伝裏書』って、kkさん、すごい史料に当たってますね。
『信勝分限帳』というも知りませんでした。
”弥作久”ですか。これは”やさこ”から転じたのか、逆に”やさく”から”やさこ”に転じたのか、どっちなんでしょうね。
岩作や石作って、中世や近世の人は普通に読めたのかな。
御嶽山で石を切り出していたんですか。
ただ、自分が石工集団の長だったとして、拠点を岩作に置くとは思えないんですよね。
このへんじゃあ、石の需要もそんなにないし、遠くまで運ぶのは大変だし。
タケマリネか、それに関わる一族が岩作を開発したというのはそうなんじゃないかとは思ってます。
それが石作連うんぬんとは違うような気がしてます。
オオタ様
ご返信ありがとうございます。
「いわ(や)」=石、「さく」=割く
と私は勝手に推測しています笑
確かに石の需要というのはそんなにない気もしますので、地形に由来する地名の可能性もありそうです。それが神社の信仰にどう結びついたかも、今となっては想像するのが難しいですね。
>kkさん
こんにちは。
kkさんはイワサク派ですか(笑)。
石析神(磐裂神)・根析神(根裂神)はよく分からない神だけど、伊弉諾尊の子ということで考えると、尾張氏系神社と思われる石作神社の祭神としてなくはないんですよね。
名古屋では唯一、中川区の赤星神社で根析神を祀っているのだけど、全国的に見てもイワサク・ネサクを祀っているところは少ないので、手がかりがあまりない感じ。
岩作の石作神社はある時期までは「やざこ」とか「やさく」とかと呼ばれていたんでしょうね。
石作連からというより、音が先で字は後のような気がします。