岐阜県中津川市の恵那神社は強すぎるエネルギー場

 お仲間5人組で岐阜県中津川市にある恵那神社(地図/公式サイト)へ行ってきた。
 恵那神社なのに恵那市ではなく中津川市にある。
 もともと恵那山の山頂に祀ったのが始まりで、後に麓の里に前宮を新築した。
 恵那神社というと、今はこの里にある恵那神社を指すことが多い。
 恵那山も恵那市ではなく中津川市と長野県下伊那郡にまたがる山なので、ちょっと混乱する。

 恵那神社を検索すると、必ず出てくるのが上の写真の二本の夫婦杉だ。
 樹齢1000年とも800年ともいわれる杉で、かなり迫力がある。
 ここらの山全体が杉林になっているのでおそらく植林したものだろうけど、800年としても鎌倉時代前期に当たる。
 もっと古ければ平安時代ということだ。

 恵那神社のもうひとつのキーワードがパワースポットだ。
 しかし、そんな簡単な言葉でかたづけていいような場所ではない。
 神社が持つパワーなのか、場所が持つエネルギーなのかは分からないのだけど、夫婦杉から先がかなりとんでもない空間になっている。
 威圧感が強すぎて怖い。
 すぐに帰りたいっ、と思った。
 悪い気ではないけど、なんか叱られるような気持ちになる。
 個人的にはあまり居心地がよくなくて長居できそうになかった。
 何かがいる感じではなく、空間そのものが相当強い気をたたえている。
 パワースポットには違いないけど、気を確かに持っておかないとパワーに負ける。
 その気が自分にとって良いものなのか悪いものなのかは判断がつかなかった。

 ネットで見た写真からかなり山奥にあるイメージだったのだけど、集落近くにあって里の鎮守といった趣だったのは意外だった。
 行く道は狭いので大きな車はちょっと危ないかもしれない。ただ、駐車場から歩いてすぐ鳥居なので、その点では楽な参拝になる。山歩きなどはしなくていい。
 ただ、恵那山の上にある奥宮は相当な山歩きをしないと行けないと思う。


 広角レンズでも夫婦杉全体は収まらない。


 恵那地方は花崗岩(かこうがん)の産地で、鳥居や石段などは花崗岩から造っている。
 二ノ鳥居の明神鳥居がカッコイイ。
 ここまで大きく垂れた注連縄はあまり見かけない。




 主祭神の伊弉諾尊・伊弉冉尊をかたどったと思われる神像が置かれている。
 木像ではなく石像の神像は珍しい。
 さほど古いものではないだろうけど。


 扁額の字は渋澤栄一のものらしい。
 初代は傷んでしまったため、現在は複製のようだ。


 恵那山は伊弉冉尊が天照大神を産んだとき、天照大神の胞衣(えな)を納めた山ということで名づけられたという伝承がある。
 胞衣は胎児を包む膜と胎盤のことで、分かりやすく言うと”へその緒”のことだ。
 古くはへその緒を家の下とか山とかに埋める習慣が一般でも行われていた。昭和世代なら箱とかに入れて取ってあるという人もいると思う。
 そのため、恵那山は胞衣山や胞山と表記されることがある他、船を伏せた形に見えることから舟覆伏山 (ふなふせやま)ともいう。
 火山ではなく古い時代に隆起して出来た山とされる。
 中央アルプスの中では最南端に位置し、標高は2,191メートルある。

 それにしても不思議なのは、どうして天照大神の胞衣をここに納めたのかだ。
 もちろん伝承であって事実ではないというのは分かるのだけど、そういう伝承が生まれる素地があったに違いなく、その理由というか意味が知りたい。
 ダジャレみたいだけど、恵那路はエナジーに通じる。
 古代人はここに何らかのエネルギーがあるのを知っていて恵那山を重要視したのではないかと思う。
 恵那山の山頂にいつ誰が社を祀ったのかは分からないけど、最初は恵那山自体を祀るという意識だったかもしれない。
 その上でイザナギ・イザナミやアマテラスの伝承が乗っかっている。
 これを単なる作り話と見るのは間違っている。何らかの根拠は必ずある。

『延喜式』神名帳(927年)に載る恵奈郡の神社は3社で、そのうちの1社がここ恵那神社で、表記は恵奈神社になっている。
 あとの2社は坂本神社と中川神社で、いずれも中津川市に論社がある。
 ここでいう恵奈神社は恵那山山頂の奥宮のことを指す。
 それが官社とされたということは、古くから格式のある神社だったということだ。
 恵那山の山頂に社を祀ったのはどういう勢力だったのかを推測することは難しい。
 このあたりの遺跡状況を把握していないのだけど、カミマツリということでいうと最大限縄文時代まで遡る可能性がある。

 恵那山の西の麓に前宮を造営したのが戦国時代の1561年(永禄4年)で、江戸時代初期の1620年(元和6年)に奥宮の祭神を前宮に移して、里の前宮を本宮にしたという。
 しかし、前宮の創建がこんなに新しいかというと疑問だ。
 ここは川上(かおれ)というのだけど、集落はもっと古くからあったはずで、だとすれば神社がなかったわけがない。
 940年(天慶3年)に作られたとされる「美濃国神名帳」に従五位恵奈明神とあり、これは前宮のこととされるので、だとすると遅くとも平安時代には前宮があったということになる。
 1561年造営というのは再建だろう。
 1576年(天正4年)に恵那神社七社が再建されたという話もあり、少なくとも中世には恵那神社としての体裁は整っていただろうと推測する。
 かつては神仏習合の時代があり、修験道の影響も見られるので、奈良時代にはある程度出来上がっていたのではないだろうか。
 一の宮から六の宮までの摂社で猿田彦大神(サルタヒコ)、天目一箇命(アメノマヒトツ)、天照大神(アマテラス)・豊受姫大神(トヨウケ)、速玉男命(ハヤタマノオ)、木花咲開姫大神(コノハナサクヤヒメ)、一言主大神(ヒトコトヌシ)を祀っている。
 雑多ともいえるこの顔ぶれを見ても、長い歴史の中でいろいろな信仰や神が混ざったことがうかがえる。
 かつては木曽全体の総鎮守とされ、木曽義仲が奉納したとされる伯耆国住貞綱の太刀が伝わっている。


 奥宮の方を向いた遙拝所。




【アクセス】
恵那山ウェストン公園前」バス停留所より徒歩約20分

【駐車場】
あり(無料)

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